マーケボン Vol.13

福島第一原子力発電所事故

※読売新聞社の刊行物に連載した書評のアーカイブです。
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マーケボン
(2011年4・5月号)

Vol.13 : 「日本人の特殊性」について
『絶望の精神史』(金子光晴/講談社文芸文庫)

震災の被害の凄まじさに絶句。被災された方々には心よりお見舞い申し上げるほかない。これを書いているのは3月15日の明け方。マーケターの仕事というものが、いかに平和な日常生活を前提としたものであったか、あらためて思い知った。

パソコンに向かっても仕事がほとんど全く手につかず、気がつくとツイッターの画面を呆然と眺めている。ものすごい速度で人々のつぶやきが流れていく。有用な情報もあれば、流言飛語もある。共感できるものもあれば、不快なものもある。気分のアップダウンの切り替えを大変な速さで強いられるので、心的疲労が半端ではない。ほどほどにしておかないと見てるだけで参ってしまう。

もちろんここでソーシャルメディアについて全く否定的なことを言うつもりはないし、これに救われたのだという人がたくさんいることもわかっている。今回のような事態におけるソーシャルメディアの功罪は、後日あちこちでなされるであろう論考を待ちたい。

ここに書きつけておきたいのは、そうしたソーシャルメディアの機構についての是非ではなく、ここ数日の間に集中的に語られた「日本人」の像についてだ。ツイッターに流れた人々のつぶやきの少なからぬ成分は、「日本人は素晴らしい」と「日本人はやはりダメである」であった印象がある。

これだけの災害に遭いながら、一定の秩序を失わずに連帯していく人々の姿への賞賛。海外メディアの評価を引いたものも多かった。対する一方は、硬直した制度や付和雷同な行動をいさめる声。秩序制度、連帯、付和雷同は、同じ事象の表裏だから、それほど大きく違ったことを言っているわけではない。要するに「日本人は特殊(あるいは特別)である」の変奏、その膨大なリフレインだ。

その変奏のどちらに与するか、という表層を撫でて過ぐる者は、マーケターに向いていないと言ってしまおう。言うまでもなく、ソーシャルメディアの功罪論に終始する者もまた然り。「日本人は素晴らしい」と「日本人はやはりダメである」の表裏を統べる考察こそ、今起こりつつある日本人の大きな意識変化をとらえるに必要なことではないか。

そんな考察に資する本として、今回は『絶望の精神史』(金子光晴 著)を推す。希代の反骨詩人が、明治・大正・昭和と生きた自らの生を重ねつつ、日本人の性根を深々と抉って容赦ない。曰く「時代時代の強制力について知」ることで「日本人であるがゆえに背負わされた宿命の根源をつきとめ、その宿命とたたかうために」書かれた本。

本書はいわば劇薬だが、日本人の特殊性ということを軽々しく持ち出すお手軽な日本人論を読んで何か得られる時代ではもうすでにない。今回起こったのはもっとシリアスなことだ。(了)

本稿を書き終わったところで、福島第1原発2号機で爆発音・・・という速報が携帯の画面に飛び込んできた。タルコフスキーの映画「サクリファイス」を連想した。

※本稿には音楽についての記述はないが、加筆せずそのままにしておく。

  • 『絶望の精神史』(金子光晴/講談社文芸文庫)
  • 映画『サクリファイス』(4Kリマスター予告編)/アンドレイ・タルコフスキー(監督)

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