原風景

Tabata_Yoshio

映画『ENO』を先日ようやく観ることができた。ブライアン・イーノを取材したフィルムで、曰く「世界初・完全ジェネラティヴ・ドキュメンタリー」。上映のたびに構成が変わる(ジェネレイトされる)というハイブロウな仕掛けがなんともこの人らしい。昨年見逃したまま忘れていたところ、再上映の報をネットでたまたまみつけて映画館へ。池袋の文芸座……学生時分に行ったきりで、アングラで殺伐とした雰囲気を思い出して不安がよぎったが、小ぎれいに改装されていて拍子抜け。観客は、そりゃそうだよな、枯れたジジイばかりであった。

映画は、イーノが好きな人であれば見どころは多い。観て損はない。とはいえ、上映のたびに構成が変わるというのを真に受けて何度も観るほどのものでもないが。私が気に入ったのは、イーノが子どもの頃の記憶について話をするくだり。ラジオから流れてきた音楽と、地元の川辺の夕暮れの景色と、何色かを混ぜた絵の具の色合いと。それらが渾然となって、彼の創作上の原風景のようなものになっているのだそう。その音楽は、アメリカのケティ・レスターという歌手のレコードで、一聴、「こんな声の女性に会ってみたい」と思ったのだとか。

聴いてみると、なるほど確かにイーノっぽい。ラジオから流れたのはおそらく『Love Letters』(1962)だと思われる。調べてみたら、ヴィクター・ヤング楽団の1945年の楽曲で、このレスターのヒットでスタンダードナンバーに。エルヴィス・プレスリーや、ブライアン・フェリーといった人のカバーも見つけたが、それらは伊達男のラブソングで、受ける印象はかなり違う。イーノっぽい、というのは、たとえばふと嗅いだ何かの匂いが遠い日の記憶をありありと召喚するような体験に近い。

そんな記憶は誰にもあるはずで、いろんな人にきいてまわったらきっとおもしろいだろう。できればなるだけ小さい頃、なんでもない日常の。映画を観て、私が思い出したのは、祖父の運転する車の助手席。まだ小学校にあがる前、とにかく神経質な子どもだったらしく、偏食はひどく、商売屋だというのに昼寝の時間もなかなか寝付かない。面倒かけたね。どういうわけかバナナをもたせて祖父の車に乗せると機嫌がよくなる。それで用事もないのに近所をドライブ。車中、8トラックのカーステレオでいつも流れていたのが田端義夫だった。カーステレオのことを「タバタ」という機械なのだと思いこんでいたくらい。

いちばんよく覚えているのは「かえり船」という引揚船の歌。終戦間もない昭和21年(1946)のヒットで、南方や大陸からの引き揚げ者のことを歌っている。祖父は傷痍軍人、昭和40年代になって、この曲をどんな思いで聴いていたのかはもうわからないけれど、戦争を知らない子どもの心にもなんともいえない情感がおこって、私はその独特のギターと歌唱を子守歌のように聴くのが好きだった。現在のジャンル分けだと「演歌」になるのだろうが、惚れた腫れたの凡百の小芝居とは無縁で、ひとつの生きた世界が歌い込まれているような感じがするのがいい。8トラから流れるバタヤンと、ハンドルをにぎる祖父と、バナナとhi-liteのまじった匂いと。私はイーノのような創作者ではないから〝原風景〟というのは適当ではないかもしれないけれども、音楽や文章や映像といったものの嗜好には、この記憶が抜きがたく影響しているという自覚がある。

音楽配信サービスで探してみたら、田端義夫は晩年の録音が数点あるのみ。声は衰え、音程はあやしく、低予算でオケも録音も安っぽくて、これでは全く真価がわからない。私が当時聴いていたのは、昭和44年(1969)に発売された『演歌の真髄を唄う心の歌 田端義夫大全集』(冒頭の画像がジャケット)の吹き込みであることを後年つきとめた。現時点ではCDで聴くしかないので、代わりに昭和53年(1978)のテレビ番組に出演したときの映像のリンクを貼っておく。