
※読売新聞社の刊行物に連載した書評のアーカイブです。
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(2009年4・5月号)
Vol.1 : 時には空を眺めてみよう
『現代社会の理論―情報化・消費化社会の現在と未来』(見田宗介著/岩波新書)
最近、広告の現場で「広告が効かなくなった」と言う声をよく耳にする。 槍玉にあがるのは、マス広告。 デジタルメディアの登場で生活者のメディア行動が多様化している。 であるからして、マス一辺倒から、クロスメディア型の広告展開にシフトしていくべきだ・・・・・・というような話にだいたい接続する。
うーん、何となくもっともらしいが、「広告が効かなくなった」をそこに単純に接続しちゃっていいのかしら。 マスかネットか、という議論はいささか近視眼的にすぎないか。 「広告が効かなくなった」と言われる状況を、もっと大きな視野で捉えて、じっくりとその原因を思考してみる必要があると思うんだけど。
『現代社会の理論―情報化・消費化社会の現在と未来』(見田宗介著/岩波新書)。 この本に出会ったのは、ちょうどそんなことをモヤモヤ考えていた時。 昭和12年生まれの社会学者が10年以上前に書いた本。 広告もインターネットも出てこない内容だが、読んで仰天、私のモヤモヤに見事に形を与えてくれた。
現代社会は、人間の無限の「欲望」をエネルギーにして動く社会である。 それは他のいかなる社会(「思想」をエネルギーにした共産主義社会など)よりも、自由が保証されたマシな仕組みであるが、無限の「欲望」を充足していくには、環境、資源、南北問題といった、外部の限界に突き当たらざるを得ない。 著者が描くこの大きな認識図は、「広告が効かなくなった」という状況を思考するための確かな基礎になるものだ。
わたしが思うに、今の広告は、煎じ詰めれば「あなたにはこれが足りない(さあ、買って満足しよう)」というメッセージだ。 欲望喚起。 これにどう反応するかは、少し前までは、極めて個人的な問題だった。 自分がどう思うか、がすべて。 しかし、今日の生活者の感覚は、もう少しだけ複雑になっている。
欲望を充足することに伴う、微かだけれど確かな抵抗感。 例えば、環境、資源、南北問題。 これらが高尚すぎると言うなら、自分の老後や、子の生きていく未来でもいい。 自らの欲望充足が、今ここには見えていないどこか/いつかに、何らかの負債となって影響するのでは・・・・・・という漠然とした不安。 「さあ、買って満足しよう」というメッセージに、以前ほど無邪気には反応できない。 それが今の生活者のリアリティーなのだとわたしには思える。
この本の終章では、外部の限界問題を超えるために、物質的な「欲望」を新しい「欲望」のありように変える・・・という方法がスケッチされている。 著者曰く、今後の議論のための「最初の小さい底本」であって完全な結論には至っていないが、広告について腰を据えて考えてみようという人にとても刺激になる内容だと思う。
広告に関する議論のトレンドに目を回さないために、時には空を眺めてみる、そんなつもりで一読を。 「マスよりさ、ネットでバイラルやったほうがいいんじゃね?」なんて、トレンドにのっかってユルイことばっか言ってると、そのうち痛い目に遭うと思うんだけどなぁ。(了)
本稿を書き終わって空を眺めてみたら、見事な夕焼け。現代社会の変わり目。何かが終わり、何かが始まる、夕焼け空は「再生」の徴だ。音楽好きなら、リヒャルト・シュトラウス(1864-1949)の歌曲「四つの最後の歌」が聴きたくなるところ。

- 『現代社会の理論―情報化・消費化社会の現在と未来』(見田宗介著/岩波新書)
- R.シュトラウス『四つの最後の歌』/ジェシー・ノーマン(歌唱)、クルト・マズア(指揮)、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団