マーケボン Vol.12

日本語語感の辞典

※読売新聞社の刊行物に連載した書評のアーカイブです。
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マーケボン
(2011年2・3月号)

Vol.12 : 「感じ」を感じる
『日本語 語感の辞典』(中村明/岩波書店)

「次の交差点を右に曲がる感じでお願いします」というので、ちょっと噴き出してしまった。とある日のタクシー車中、何で笑ったのかと隣で怪訝そうな顔の同業。いやまぁ、そんな噴き出すほどのことでもないのかもしれないが、右に曲がるのに「感じ」も何もないだろうと。

この「感じ」というやつ、広告の仕事に携わっている人が多用する言い回しである。あるいは「ナントカ感」。このコピー、もう少しバーンと目に飛び込んでくる感が欲しいな、という具合。「目に飛び込んでくる感」(笑)。

巷間面白おかしく取り上げられるギョーカイ用語の類は、使う方も意識的(時に自嘲的)だけど、こちらは半ば無意識的で、その分、広告という仕事の核心をよく表しているといえるかもしれない。広告とは「感じ」という言い方で指示するしかない微妙な印象差を取り扱う仕事なのである。

微妙な印象差を取り扱って、それを世の中に出る表現に定着させるのが広告クリエイターであるとすれば、それを戦略として言葉(つまり企画書をはじめとする稟議用文書)に定着させるのが広告マーケターの専門性だ。異論がある人も多いかもしれないが、マーケターに一番必要な能力はと問われたら、私は「国語力」と答える。

人々が、その商品、サービス、企業に対してどんな「感じ」を持っているのか、また、どんな「感じ」を持ってもらいたいのか。それは競合の「感じ」とどう異なるのか・・・・・・等々を言葉に定着する力。難解な語彙をたくさん知っているということではない。平易な語彙から用いる言葉を選択するセンスの的確さ、これである。

それは一体どうしたら身につくものでしょう、と言われると、とにかく本を読みなさい、ということにしかならないのがキビシイところ。そういえば、つい先だって『日本語 語感の辞典』(中村明著)という辞書が出た。国語辞典や類語辞典と違って、どんな「感じ」の言葉かを解説する新種である。喜びが「わく」「みなぎる」「こみあげる」「ほとばしる」のニュアンスの差。「意味」ではなく「語感」を扱うもの。

辞書として実用的かどうかは意見が分かれるところだけど、一度まとまった時間をとって頁を繰って読んでみることを推奨したい。特に面白いのが各語に添えられた用例。近現代の文学作品からの引用をはじめ、小津映画の台詞や、取材で作家と会った時のエピソードなど、とにかく盛りだくさん、あちこちでニヤリとさせられる。日本語の「感じ」についてあらためて考える(感じる)のに恰好の教材。(了)

この辞書が気に入ったら、「言語にとって美とは何か」(吉本隆明 著・角川ソフィア文庫)を読んでみるといい。言語を「意味」と「価値」の混合と見るモデルの独創性に仰天すること請け合い。

交響曲第5番『運命』(1947)、ほか フルトヴェングラー&ベルリン・フィル

本稿には音楽をからめた記述がなかったので、WEB掲載にあたって加筆する。この辞典で「音楽」を引いてみたら、用例には小林秀雄の「モオツァルト」から「当代一流の音楽、特にベエトオヴェンの音楽に対するゲエテの無理解或は無関心」という一節が何の解説もなく引かれていた。実に意地の悪い引用の仕方で、前後がどうなっていたか気になって結局本文に当たる…という大変に面倒くさい辞典なのである。推薦盤はベートーヴェン、家が壊れそうな気違いじみた音楽だとゲーテが言ったということになっている交響曲第5番にする。俗にいう〈運命〉だ。あまり新しい録音だと小林秀雄の感じと合わないので、終戦間もない1947年のベルリン、ナチ協力の嫌疑で指揮を禁じられていたヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1886-1954)の入魂の復帰演奏でどうだろう。(2026年4月加筆)

  • 『日本語 語感の辞典』(中村明/岩波書店)
  • 『言語にとって美とは何か』(吉本隆明/角川ソフィア文庫)
  • 『モオツァルト・無常という事』(小林秀雄/新潮文庫)
  • ベートーヴェン:交響曲第5番/ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(指揮)、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

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