
※読売新聞社の刊行物に連載した書評のアーカイブです。
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(2013年12月・2014年1月号)
Vol.29 : 入門を楽しもう
『〈狐〉が選んだ入門書』(山村修/ちくま文庫)
午前中はビールの商品開発の打合せ、午後はひとしきり自動車の新発売キャンペーンの企画書を書いて、スマートホンの販促企画のプレゼンに。戻ってトイレタリーの調査レポートを書く。夜はお菓子のサンプリングイベントの実施報告書作成。
広告業界のプランナーの日常はこんな感じになっている。いくらか大袈裟に書いたから、実際のところはもう少し落ち着いた日もあるのだが、特徴的なのは扱うテーマがバラバラであること。ビール、自動車、スマホ、トイレタリー、お菓子・・・・・・等々、実に様々な業種業態の案件が日々飛び込んでくる。
いろんなテーマがあって楽しそう、飽きないでしょう、と言われることがある。そうですね、広告屋の仕事の楽しいところだと思います。仰るのは広告主企業の担当者、打合せ後の雑談時が多い。我々はずっと同じ商品のことを考えているのでそういうのが時々羨ましくなりますよ。担当者氏に他意は無い(と思う)ものの、こう続くとちょっと汗が出る。始終そのことについて考え続けている専門家を相手に、さっきまで得々とそれについて喋っていた自分の足場をそれとなく確かめてしまうというか。
もちろん我々だって広告の専門家だ。広告について考え続けているそのことが足場、商品の専門家に気おくれする必要は無い。とはいえ、あなたがその市場に向き合ってまだ1週間、むこうが十年選手となるとやっぱり汗が出るだろう。全く同じ種類、水準の専門性を期待されてるはずはもとよりないとはいえ、あなたの提案の背景にある市場の捉え方がしっかりとツボを押さえたものになっているかどうかしっかり評点をつけられているわけで、ここは広告屋の仕事の難しいところだと思う。
日々飛び込んでくる案件について、その市場の勘所をある程度短時間で見切る力。できれば十年選手にも見えてないものを見出すような。そうした力を養う確実な方法があるわけではないけれど、例えば〈入門〉を楽しんでみるなんていうのはどうだろう。自分の知らないこと、土地勘の無い分野について、入門書を紐解いてみる。優れた入門書であれば、読むうちその分野の勘所が浮かびあがってきて、さして興味もなかった分野が俄然おもしろくなってくる。扉が開いて新しい風景が眼前に開けるあの感じに至る道程を身に滲みこませよう。
『〈狐〉が選んだ入門書』(山村修 著)。〈狐〉の筆名で20年以上に渡って夕刊紙に書評を連載していた著者が、死去の年に本名を明かして刊行したブックガイド。巻頭の「入門書こそ究極の読みものである」という主張がいい。「思いがけない発見にみち」ている本が、「じつは入門書のなかに存外多い」と。すぐれた入門書として序文で例示されるのは高浜虚子『俳句はかく解しかく味わう』。いわゆる雑学のすすめ、あるいはマニュアルやハウツー、アンチョコとしての「手引書」との違いは厳しく強調されている。
〈入門〉を楽しむ取っ掛かりとして絶好の入門書。本編では「言葉」「古典文芸」「歴史」「思想史」「美術」の各分野から5冊ずつ推薦されている。どの扉を開いても楽しめることうけあい。それでは皆さん、よい年末年始を。(了)
推薦書の本編で取り上げられている本を順不同で。菊地康人『敬語』、遅塚忠躬『フランス革命―歴史における劇薬』、内藤湖南『日本文化史研究』、田川建三『キリスト教思想への招待』、内田義彦『社会認識の歩み』、井筒俊彦『イスラーム生誕』、若桑みどり『イメージを読む』・・・・・・等々。歯ごたえあります。

※この稿には音楽についての記述がなかったので加筆する。細野晴臣の「オムニ・サイト・シーイング」(1989)は、バブル時代のワールドミュージックブームの渦中のリリース。日本の経済力は、ジャズやロックのビッグネームを来日させ、コンサートホールや劇場を建てて世界の一流オケを来日させ、それも当たり前になってくると、何か次の新たな消費対象はないかと南米やアフリカや中東やインドや東南アジアの音楽へ…という具合で、そのブームは文化的な帝国主義ではないかと眉を顰める人もあったくらい。この頃の細野晴臣の関心は、アルジェリア発祥のライという音楽で、パリにいた移民たちが当時、コンピューターや電子楽器をつかってオケを現代化しはじめていたシーンにあった。アラブの〝こぶし〟と、デジタルなビートの組合せが何とも新鮮だったようで、このアルバムも、アラブ系フランス人の女性シンガー(アミナ)や、日本の民謡少女(木村香澄)の〝こぶし〟と、TR-808などの電子楽器の組合せが聴ける。それだけなら、よくあるブーム便乗だが、このアルバムの面白いところは、それらの伝統の意匠を掠め取るような非礼な感じがしないこと。かといって、それらの伝統に訳知り顔に深入りすることもない(それもまた非礼である)。細野晴臣のコンセプトは「観光」(サイト・シーイング)で、傍観者的な立ち位置をモラルとする、というもの。たしか当時のインタビューでは、何千年という単位で遡れば、アラブもアンデスも日本も同根だったりするんじゃないか…というような発言があって、心の古層に降りていく(ユング的な)旅、というイメージで創られた作品だろう。意匠の掠め取りでもなく、訳知り顔の深入りでもない。「入門書」を楽しむ…というのは、こういうことかも…と思った次第。(2026年5月加筆)
- 『〈狐〉が選んだ入門書』(山村修/ちくま文庫)
- Omni Sight Seeing / 細野晴臣