
※読売新聞社の刊行物に連載した書評のアーカイブです。
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(2015年8・9月号)
Vol.39 : ラジオのチカラ
『ラジオのこちら側で』(ピーター・バラカン/岩波新書)
「田舎の母親から電話があってさ、ヘルマン・ヘッセという人の本を読みたいんだけど、お前知ってるかって言うんだよ。読書なんて全くしない母親だからさ、いったいどうしちゃったのかと思って」
以前のこと、ある人からそんな話を聞きました。かなり面食らったんじゃないでしょうか。なぜに突然、文学趣味とは縁遠い田舎の母ちゃんの口から、ヘルマン・ヘッセという名がもれたのか。続きをきいてみると、これがどうやらラジオのせいらしいんです。
NHKラジオで深夜に放送されている「ラジオ深夜便」という番組を聴いたことがありますか。ベテランアナウンサーの低いトーンのゆっくりとした語りに、昔懐かしい音楽。若者向けのいわゆる深夜放送や、いまどきのFM波のムードと比較すると、ちょっと・・・・・・というか、ものすごく地味で渋い番組です。仕事で遅くなって深夜にタクシー拾うと、カーラジオからこの番組が聴こえてくることがあります。あまりに地味で、じっと聴いてると催眠効果すら感じるほど。若い人からすると、いったい何がおもしろいのか・・・・・・というようなものではありますが、この番組、大した宣伝もしてなかったのに、じわりじわりと年配の方の支持を集め、いつしか大変な人気番組になりました。タクシーであれば、年配の運転手が多い個人タクシーでかかっている比率が高い。
この番組の人気の秘密は何でしょう。年配の方、夜なかなか眠れないという人が多いのだそうです。それで、深夜、ごくごく小さい音でこの番組に耳を傾ける。ゆっくりと落ち着いた語り、そして懐かしいレコード。ポータブルラジオを布団の中で、じっと握りしめて、懐かしい音楽に昔を思い出してそっと涙をふいている。不眠や孤独、老いについての悲鳴ではなく、この時間はとても幸福なひと時なのだとリスナーの方が新聞に投稿されていたのを読んだ記憶があります。冒頭にあげた田舎のお母さん、彼女がどうしてもヘルマン・ヘッセを読みたくなったのは、この番組の語りで、ヘッセについての言及があったからなのでした。
文学に縁遠かった人に、ヘッセを読んでみたいと思わせる力。これ、どうしてもラジオでなくてはならないような気がしませんか。テレビやインターネットでは、どうもこの感じが出てこない。基本的には音声だけのシンプルなメディア。現在のデジタルメディア進化のベクトルを考えると、とてもリッチとはいえないラジオというメディアが、なぜに今も高い支持を集めているのか、そしてこのヘッセの例のように強く人を衝き動かす力をもっているのか。ラジオというメディアの人気を深く掘ってみると、今のデジタルメディア進化の議論に大きく欠けているものが、いくつもいくつも出てくるように思います。
実は先日、とあるラジオ番組に出る機会がありました。マーケターのためのラジオ番組というのを試しにやってみるから、ゲストで出演しろ、好きな曲を何曲かかけてもいいぞ、と。そのオンエアを、夜更けに寝床で小さい音できいていたら、冒頭の話を思い出したのでした。
今回の推薦本は『ラジオのこちら側で』(ピーター・バラカン 著)。放送局やスポンサーの意向に左右されず、自分が本当に良いと信じる音楽だけをリスナーに届けようとする著者の、ラジオというメディアへの深い愛と、送り手としての誠実な姿勢が綴られた本。音声だけで人と人が繋がる瞬間の温かさと、メディアが本来持っているべき「信頼」のありようを、静かに問いかけてくる一冊です。(了)
ラジオで自分の選んだ曲を流す。音楽好きなら一度はやってみたいこと。自分の声が電波に乗って、誰かの枕元に届いている不思議な感覚を味わいました。メディアの進化は情報の「量」や「速度」に向かいがちですが、ラジオが教えてくれるのは情報の「体温」のようなものかもしれません。忙しい日常から少し離れて、たまにはラジオのノイズに耳を澄ませてみるのも、マーケターとしての感性を整える良い時間になるはずです。

※本稿にあるラジオ番組で、好きな曲を何曲かかけてもらいました。最初にリストに入れたのが、アスワド「バック・トゥ・アフリカ」。田舎の中学生だった頃、夜中のラジオでかかった曲で、当時はまだレゲエという言葉も知りませんでしたが、美しくてぐっときたんですね。でも曲名がわからなくて、以来ずっと探していたのでした。大人になって、アスワドのファーストアルバムに入っているのを見つけたのですが、うーん、昔ラジオで聴いた感じとちょっと違う。自分の記憶の方が間違ってるのかな…モヤモヤしていたところでようやく出会ったのが、この「ショーケース」というシングルなどのアルバム未収録曲を集めた編集盤。これの一曲目が「バック・トゥ・アフリカ」のダブバージョンで、まさにこれ!。これを深夜に聴くと、布団の中で息をつめてラジオを聴いていたあの時間の濃度を思い出します。(2026年5月加筆)
- 『ラジオのこちら側で』(ピーター・バラカン/岩波新書)
- SHOWCASE / ASWAD