マーケボン Vol.6

person in black diving suit under water

※読売新聞社の刊行物に連載した書評のアーカイブです。
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マーケボン
(2010年2・3月号)

Vol.6 : マーケターはなぜ胡散臭いのか?
『精神分析入門』(ジークムント・フロイト/新潮文庫)

マーケターは時に胡散臭いと言われることがある。怒ってはいけない。事実、胡散臭いのだ。なぜなら、マーケターというのは「まだ誰も見たことのない風景を見てきて、それについて語る」人のことだからだ。

問題が解決されて、商品が飛ぶように売れるようになった暁、つまり成功像をありありと描くのが仕事。まだ誰も見たことのない風景というのは、つまり「未来」のことである。胡散臭くないわけがない。

ダメなマーケティングプランというのは、誰からも見えている風景しか書かれていないもののことを言う。いくらデータ分析が緻密だろうと、美麗なチャートが描きこまれていようと、それが「現在」についての言及に終始しているならば、マーケティングプランと呼ぶには値しないのである。それは問題の再描写にすぎない。

マーケティングを学ぶ、ということは、データ分析の方法や、チャート表現のレパートリーを増やしていくことではない。風景の描写技術を磨くことはもちろん大切だ。しかしより本質的なことは、描写に先行して、まだ誰も見たことのない風景を見ること、これである。

マーケティング関連図書をよく読んで勉強している人ほど、描写技術のハウツーの隘路にハマりこむ傾向がある。そんな人に痛烈な解毒剤になるのが、「精神分析入門」(ジークムント・フロイト著)。20世紀の知の開闢を告げた泣く子も黙る名著だが、ちゃんと読んだことがある人は存外少ないのではないだろうか。

これはまさに、まだ誰も見たことのない風景を見てきた男が、それについて語った本である。人間の心の中には、「無意識」という広大な未知の風景がある、そしてそこはこんな異様な眺望、複雑な構造になっている・・・・・・。私はこれを読むたび、ダイバーのイメージを思い浮かべる。海に潜って誰も見たことのない深層を見てきた男。水面は誰からも見えるが、海中の風景は潜った者のみが見ることができるのだ。

それにしても、フロイトの語り口の何たる晦渋ぶり。信じてもらえないでしょうが・・・・・・という逡巡と行きつ戻りつする様子は、描写技術の面からは全く参考にならないが、私はここにマーケター本来的な困難と喜びに相通じるものを見る。胡散臭さを積極的に引き受ける覚悟がある者だけが、優れたマーケターたり得るのだ。(了)

新潮文庫(上下巻)は「続・精神分析入門」も併録のお徳用。ところで私は生まれてこのかた43年、海で泳いだことが一度もない。海のない岐阜県の山奥で育ったせいにしたら、岐阜の人が怒るだろう。本稿を書きながら、ビーチ・ボーイズのレコードを聴いた。中心人物だったブライアン・ウィルソン(1942-2025)は、サーフィンをしたことがなかったらしい。

The Beach Boys Classics... Selected By Brian Wilson

  • 『精神分析入門』(ジークムント・フロイト/新潮文庫)
  • The Beach Boys Classics… Selected By Brian Wilson

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