
※読売新聞社の刊行物に連載した書評のアーカイブです。
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(2012年4・5月号)
Vol.19 : 現物の凸凹に向き合う
『マイルスを聴け!』(中山康樹/双葉社)
広告会社の新人だった頃、ある先輩が配属間もない私のデスクにビデオテープを積み上げた。とりあえずこれを見ておけ、と言われたそれらは、過去およそ30年分のテレビ広告集。私の入社は1989年の春だから、積まれたのは、テレビ放送の黎明からのテレビ広告の歴史、ほぼ一式ということになる。
生意気な新人だった私は、広告の歴史なんてすでにもう知ってるつもりでいたから、ほんのおさらいという横着な気持ちで肘をついてビデオを見始めた。 高度成長期はモノのスペック、オイルショックでフィーリング、西武百貨店以降は記号論でしょ、はいはい、知ってますって、そのくらい。
すみませんでした。 全てを見終わっての感想を一言で表すならばこうなる。 何かの本で仕入れた知識が間違っていたわけではなかったが、しかしそれは、おさらいというにはあまりに豊かな体験だったのである。 頭の中に、広告の歴史というものがはじめて確かな〈像〉を結んだ、という実感。
現物には、いわゆるアンチョコではきれいに地ならしされてしまう荒々しい凸凹がある。 その凸凹に一喜一憂しているうちに〈像〉が次第に形をとってくる。 ひたすらに地道だが、何かを知るにあたっては、これが最も身になる方法であり、迂回であるようにみえて実は最も早い方法であり、連鎖して何よりも最も楽しい方法なのだ。
アンチョコに頼らずに、現物の凸凹に向き合う地道さ。 このことの楽しさを身をもってわかっている人の思考は強い。 ネット時代は、現物にあたらず他人の手になる解説をつぎはぎするのをかつてないほど容易にしたが、故に「地道」に一層価値が出る。 どんな分野でもいい。 アンチョコで済ませたくなるような対象に出くわしたら、その誘惑を捨てて、現物にあたる地道さを自分に強制してみよう。
例えば、「マイルスを聴け!」(中山康樹著)を伴にしてジャズを聴いてみるなんていうのはどうだろう。 「ジャズをわかりたかったら、マイルス・デイヴィス(1926-1991)の作品を全て聴け。海賊盤を含めて五百枚以上ある」というかなり無茶な本だが、地道に耐えて何十枚かを聴くうちに、なるほどわかってきたぞ、という瞬間が訪れる。 楽しいと思えるところまでいけたら、それはあなたの思考の強度を一段上げる貴重な体験になることを請け合う。
ところで冒頭に書いた話、ざっと計算してみると、今の新人が当時の私と同じ体験をしようと思うと50年分の広告を見ることになる。 クロスメディアなんてのも増えているからこれはなかなか大変だけれども、広告自体が大きく変わろうとしている今だからこそ見ておくべきだと思う。 どこかで聞きかじっただけで、頭の中に対応する確かな〈像〉が結ばない「マス広告終焉論」なんか振り回してるとそのうちきっと怪我するよ。(了)
若い世代が広告の歴史をまとめて見られるような体系的な教材が整備されるといい。できれば安価な市販本・DVDで・・・・・。現状市販されている本で手に入れやすいものとして「日本の雑誌広告」(Pie Books)60s、70s、80sの3冊を推薦しておく。

※「マイルスを聴け!」を薦めておいて、実際のマイルス作品への言及がないので、WEB掲載にあたって加筆する。どれを薦めてもよいが、多くの人にとって〈像〉が結びにくいのがこのあたりの作品だろう…ということで、1970年の問題盤、ビッチェズ・ブリュー(中山康樹はビッチズ・ブリューと表記すべきと言っていた)にする。当時、若者はもはやジャズなんか聴かなくなっていて、そんな状況下、エレキギターにエレキベース、ピアノもフェンダーローズに置き換え、自分のトランペットにもエフェクターをかませて、後に〝電化マイルス〟と俗称される作風に急転回。ロックに媚びて堕落したと酷評する者、世紀の傑作と絶賛する者、毀誉褒貶入り乱れた時期の(今もなお入り乱れている)象徴的な作品である。この辺を(好き嫌いは別として)面白がれるようになると、ジャズも上級篇といえる。(2026年4月加筆)
- 『マイルスを聴け!』(中山康樹/双葉社)
- 『日本の雑誌広告』(Pie Books)60s、70s、80s
- Bitches Brew / Miles Davis