マーケボン Vol.34

shallow focus photography of clear drinking glass on brown wooden table

※読売新聞社の刊行物に連載した書評のアーカイブです。
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マーケボン
(2014年10・11月号)

Vol.34 : 資本主義のイヌ
『太宰治全集』(ちくま文庫)

オフィスを持たないフリーランスなので、日中ぼかんと空いた時間は喫茶店にいる。大抵は居眠りしていたりするから知った人にはとてもじゃないが見せられない。その日もうつらうつらしていたら、いつの間にか隣の席に二人組が座っていて、会話の声がやけに大きい。聞くともなしに聞いていると、どうやら広告屋。先輩らしき男が、これからの広告について熱っぽく弁じたてている。それに心底感じ入った風の後輩の相槌が時折。

広告というのが、いかに社会に欠かせない意義の大きい仕事であるか、企業活動を革新し人々の暮らしを豊かにしていくものであるか。それだから我々は常に意識を高くもって仕事にあたらねばならん、とかなんとか。乱暴に要約するとこんな感じ。間にジョブズやザッカーバーグなんて固有名詞がまじる。当人たちはいたって大真面目。ちょっと笑ってしまいそうになったけど、最近こういう人、増えてませんか。ソーシャルメディアのタイムラインに流れてくる広告屋の書き込みなんかを見ていると、気になって気になって。

その心意気や良し。仕事に矜持を持つのは悪いことではないよ。でも、おいおい広告ってそんな大層なものだったっけ、ちょっとリッパすぎやしないか。だいたい広告屋になろうと思った動機ってもっと卑近で下世話な理由だったんじゃないの。チャラチャラしてて楽しそうだとか。引退目前、半生省みてのベテランの述懐ならともかく、現役バリバリのいい若いもんがやたら意識(だけ)高いのもどうなんでしょう。

そういうのに出くわす度に私が思い出すのは、駆け出しの頃に座った大阪の新地のバー。広告会社に入って最初についた先輩マーケターが、関西の某大学の出身で、別の先輩がこっそり教えてくれたところによれば、黒いヘルメットをかぶった全共闘の闘士だったらしい。大阪のクライアントの仕事で出張した時に、俺の昔の友達がやってる店があるからさ、とそのバーに連れて行ってくれたのだった。

カウンターだけの小さな店で、和服の美人ママと数人の常連客。大して混んでもいないのに、先輩は一番隅の席に座る。壁には左派で顔が売れていた国会議員のポスター。常連とママの会話は政治や経済の話。どんな友達だったのかは先輩にとうとう尋ねなかったけど、昔の闘士仲間の溜まり場だったんだろう。ママは、闘士たちのマドンナだったかつての女子学生だね。

先輩は明らかにいつもと様子が違う。黙って酒を飲む無口で渋い男。黙られても困るが、仕方なく私も黙って隅っこに座っていると、常連が久しぶりじゃないか、と先輩に話しかけてくる。今なにやってんだ。しばらくの間があいて、この人は東京で広告屋さん、と代わりにママ。すると、先輩が「資本主義の狗になっちまってさ」と自嘲気味の口調。こいつは会社の若者でね、と紹介されてもどう振る舞ってよいのかさらに困った。

まあこれはこれで笑ってしまうような話で、先の若者とベクトルが反対なだけ、意識過剰は変わらないともいえるわけだが、どちらかといえばこちらの自嘲のほうが広告屋にはより似合うんじゃないかと個人的には思う。最近、どうも意識のチューニングが高すぎるような気がするんだな。いやぁ、バカやってます、難しいことよくわかんないんでスミマセン、みたいな感じが希薄になってきて、それが業界を、そしてアウトプットを何となく縮こまったものにしているような・・・・・・気のせいですか、そうですか。

一昨年前、ひと夏かけて太宰治を全部読んだ。この人の自意識の過剰ぶりもなかなかのもの。「他に何をしても駄目だったから、作家になった」とか、「小説と云うものは、そのように情無いもので、実は、婦女子をだませばそれで大成功」で「利口な大人が目の色を変えて読み、しかもその読後感を卓を叩いて論じ合うと云うような性質のものではない」とか。小説ももちろん第一級だが、こんなことが書いてある雑文を全集のフィルアップから拾って読むのが大変におもしろい。バカやってます、スミマセン、から繰り出されるとんでもないおもしろさ。ジョブズもいいけど、ダザイじゃない?(了)

太宰治は津軽の豪農の六男。お坊ちゃんだから、東京で暮らすにあたってはお目付役がついていた。以前、たまたま隣家の人と立ち話をしたら、そのご子孫だとわかった。あなたの今住んでいるあたりに昔は離れがあって、太宰の謹慎に使ってたのだそうですよ、今でも熱心な読者がこのあたりを尋ねてくることがあります、ときいて、これも何かの縁だろうと全集を買った。

最後の晩餐 CHRIST, WHO'S GONNA DIE FIRST?

※本稿は音楽についての記述がなかったので、Web掲載にあたって加筆する。自分の姿を突き放して眺めて、その不格好さ、情けなさ、くだらなさを自虐的に笑ってみせる。それでいてギリギリのところでかっこいい…という存在感、音楽で思い浮かぶのはムーンライダーズだ。1991年に出た「最後の晩餐~Christ, Who’s gonna die first?」がいい。リーダーの鈴木慶一が40歳になった年で、そのことがアルバム全体のカラーに強く影響している。息子は髪をピンクに染めて親に殴りかかってくる、娘は夜な夜な家を抜け出して街に遊びにいく、妻との関係は冷え切っていて……という不様な荒廃を歌う中高年親父のロックって、他にあるのかしら。そういえば、このバンドの詞にはよくイヌが登場する。(2026年5月加筆)

  • 『太宰治全集』(ちくま文庫)
  • 最後の晩餐~Christ, Who’s gonna die first? / ムーンライダーズ

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