マーケボン Vol.8

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※読売新聞社の刊行物に連載した書評のアーカイブです。
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マーケボン
(2010年6・7月号)

Vol.8 : キレイな手
『吉本隆明1968』(鹿島茂/平凡社新書)

いつだったか、田舎に帰省した折のこと、「あんたはキレイな手しとるねぇ、女の子みたいや」と言われた。以前にも書いたことがあるが、私の実家は、岐阜の山奥で和菓子屋をやっている。発言の主は、繁忙期に店を手伝いにきてくれる近所のおばさん。

「うらやましいわぁ」と私の手を眺めるおばさんの後ろから、「仕事しとらん手やな」と親父。イヤなことを言う。こっちだって仕事してんだよ、いろいろ大変なんだぜ、と言い返しそうになったのを慌てて呑み込んだ。親父には難しいことはわかんないだろうけどさ、とその先が続きそうだったからだ。

大学を出て広告会社に就職した時、マーケティングという仕事について親父に説明を試みた。それから20年経つが、いまだに「オレにはようわからん」としか言わせられていない。まぁ仕方がない、世界が違うのだ、と思い直る一方で、このことは、お前のその仕事は本当に世間に必要とされている確かなものなのか、と問われているような感じとなって、いつも心にひっかかっている。

あ、上っ面なこと言ってるな。横文字のテキトウな専門用語でわかったつもりになってるだけなんじゃないか。これは本当に世の中の普通の(例えば親父のような)人にもわかる企画になってるのか。仕事の最中にこんなことをふと思う瞬間、思いだすのは、キレイな手だと言われたその時のことだ。

「吉本隆明1968」(鹿島茂・著)は、若い編集者から、吉本隆明がなぜスゴイと言われるのかよくわからない、と言われたのを契機に書かれた本。著者が引くのは代表作「言語にとって美とはなにか」「共同幻想論」の吉本ではなく、初期の諸論文。マルクスにカブレたインテリ左翼たちの、専門用語でわかったつもりになってるだけの上っ面な議論をなで斬りにしていた頃の姿である。

「落語に登場する長屋のクマさんやハチ公」の感覚を常に忘れなかったのが吉本のスゴイところだ、という著者の言。吉本は船大工の息子なんだそう。キレイな手だと言われた時のことを、なにゆえに一抹の負い目のようにしていつまでも抱えこんでいるのか、つまりマーケティングという「知的な」仕事に携わる者が自省せねばならぬことは何なのか。私が本書に読んだのは、そんなことだった。(了)

私の小さい頃の夢は、サラリーマンになることだった。一族郎党、和菓子屋や美容師。つまりみんな職人、平たくいえば、何かしら「知的な」職業に憧れたわけだ。会社を辞して、40を越した今となって思うのは、職人の血は争えぬということ、口先だけで手が動かない人間に不寛容なところは親父そっくりになった。

Money Jungle

※本稿には音楽をからめた記述がなかったので、WEB掲載にあたって加筆する。推薦盤はデューク・エリントン(1899-1974)。1940年代のスウィングジャズの巨匠だが、1962年のこのセッションは、誰が思いついたか二十も歳の離れた若いミュージシャンとのトリオ編成。往年の巨匠を立てての穏当な演奏になるかと思いきや、最も攻めたモダンな音を出しているのはエリントンその人だ。若い二人が気圧されながら本気になって応戦しているのがわかる。吉本隆明を読む感じにどこかしら近いと思う。(2026年4月加筆)

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