マーケボン Vol.40

A turntable needle plays a vinyl record.

※読売新聞社の刊行物に連載した書評のアーカイブです。
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マーケボン
(2015年10・11月号)

Vol.40 : 〝わからない〟を大切に
『ペット・サウンズ』(ジム・フジーリ/新潮文庫)

若い時分、会社の同期が主宰していたバンドに参加、ライブハウスを借りてステージに立ったことがある。時は90年代前半、ちょうどDJっぽい音楽の作り方が面白かった頃で、古いロックやファンクのレコードからリズムのフレーズをサンプリング、それをループ再生したものをビートトラックにして演奏してみよう・・・・・・という趣向。当時こういうことをやろうとすれば、それなりの性能のコンピューターが必要だった。私はたまたまその条件を満たす機材を持っていて、それで(音楽性やステージ映えといった要素は二の次にして)声がかかったのであった。

ビデオテープに収録されたライブの映像は、それを再生できるデッキがいつの間にか周囲から姿を消して、結局一度もまともに見られたことがないままレコード棚の隅に。50歳近くになって、20代の自分たちのバカ騒ぎをわざわざ見たいと思うようなことは、この先おそらくもう無いであろうと思うけれど、まあ急いで捨てることもないだろう。

バンドの主宰者とは今も仕事でよく会う。時間があると音楽の話になる。これはずっと変わらない。先日、夏の終わりにソーシャルメディアを見るともなく見ていたらその彼の書き込みが目にとまった。今年の夏の最大の収穫は、ビーチ・ボーイズの音楽にとうとう開眼したことだ、とある。ほほう。後日、姿をみかけて声をかけた。

「ようやく開眼したらしいね、ビーチ・ボーイズ。何がきっかけで?」「夏休みをとった週に、ブライアン・ウィルソン(ビーチ・ボーイズの中心人物)の自伝的映画『ラブ&マーシー』を見たんだよ。これが素晴らしかった」「それはまだ見てないな」「絶対見た方がいい。この映画を見てやっとわかった。それ以来、ずっとビーチ・ボーイズばっかり聴いてる」「ビーチ・ボーイズはわからないって言ってたもんな」「ああ、懺悔の会の時ね(苦笑)」

「懺悔の会」というのは、以前に何人かでメシに行って、音楽の話になった時のこと。とかく音楽好きというのは、自分の好きな音楽について熱く語り、他人に聴くことを推奨(半ば強要)するが、ちょっと待て、今日はそうではなくて、実はオレ、あのレコード(あるいはミュージシャン)の良さがよくわかんないんだ・・・・・・というのを互いに告解してみようではないかという企画。音楽のことなら人後に落ちぬ、何でもわかってますといういつもの通ぶった身振り言動はこれを慎むこと。巷間定評のある盤は、なかなか正直にワカンナイとは言えないわね。その正直が実に新鮮でおもしろく、大層盛り上がった。その日に彼が挙げた名前のひとつが、ビーチ・ボーイズだったのである。

わからないものをわからないと言うのは、場合によってはなかなか難しいことだ。「懺悔の会」は気心知れた(そして見栄の突っ張り合いを通り越した齢になった)仲間同士の趣味雑談だからカンタンに成立しているように見えるけど、例えば仕事上のこと、ついつい何でもわかっていますというような身振りで自らを擬装してしまっていないだろうか。その場でこっそりスマホで検索、知ったかぶりの言動で、わからないことを学ぶことができる機会を逸してしまっていないだろうか。

今回の推薦書は、『ペット・サウンズ』(ジム・フジーリ 著)。ビーチ・ボーイズの最高作と呼ばれるアルバムのタイトルをそのまま標題にした本で、米作家がその名盤に隠されたドラマを抉ったもの。いつもよりちょっと私的な選本で恐縮だが、ビーチ・ボーイズに開眼した知人に、そして彼と同じように映画に感激した人に向けて推しておく。著者の名だけでなく、訳者の村上春樹の名を書いておくと、より多くの人の興味を惹くかもしれない。「この音楽の持つ革新性と独創性を理解できるまでには時間がかかった」と訳者のあとがき。未聴の方は、本書と音源を一緒に買って、すぐにわかったと軽口たたけない深遠な音世界にどっぷりつかってみるといい。きっと良い経験になりますよ。(了)

懺悔の会で私が挙げたのは、大物では何といってもローリング・ストーンズ。一通り聴いているのだが、どうもしっくりこないのである。文中の知人は大のストーンズ好きなので、正面きっての告解は実に大変な勇気が要った。開眼したら報告します。

Pet_Sounds

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